ベートーヴェン 記念の年なのに、、。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年の生まれなので、今年2020年は生誕250年にあたります。生きていたら250歳。クラシックの音楽業界はこのような記念イヤーは非常に重要です。本来であれば多くの演奏会でベートーヴェンの曲が演奏されていたでしょう。
プロのオーケストラにとってベートーヴェンの交響曲は重要なレパートリーであり効率よくお客を呼び込める、チケットが売れる作曲家かと思います。
編成面でのオーケストラの稼働人数はそのまま出演料の増減、経費につながりますので主に二管編成(木管楽器が2人ずつ)で演奏できるベートーヴェンの交響曲は人数を最低限に抑えることができます。もちろんトロンボーンが要る要らないなど細かい違いはありますが。メインの交響曲の編成に合わせて前半の曲を決めていきます。記念イヤーではレオノーレ序曲などの序曲やピアノ協奏曲などを組み合わせてベートーヴェンプログラムを組む演奏会も多く予定されていたでしょう。
のだめ以来、交響曲第7番は断然人気の曲になりました。トロンボーンもいらないので最小の二管編成で効率が良いです。知らぬ人がいない第5番「運命」は知名度が高いですがコントラファゴットもトロンボーンも必要な上、様式的に古典的な要素が強いため前半はモーツアルト以前の作曲が増えることになるかもしれません。第6番「田園」、第3番「英雄」など名前がついた交響曲が人気かと思います。そして記念イヤーでなくても日本の年末では必ず第9番合唱付きが演奏され、多くの聴衆を集めます。第九の解説でも「もともと年末に音楽家が年を越せるように」などチケットが売れる曲としてもレパートリーには外せない曲です。それ以外にも第4番、第8番は前半で演奏してロマン派や近代の曲につなげることもありますし、記念イヤーでは第1番、第2番もチクルス(全曲演奏)でなくてもプログラムにあがることがあったでしょう。
オペラは「フィデリオ」1曲しか作曲されていません。大変な名曲かと思いますが、主役フロレスタンをはじめ難しい役も多いですし、地味なイメージも強いので上演頻度は少ないかと思います。9月の二期会での上演は無事に上演してほしいと思います。
ピアノ曲、室内楽、歌曲、ミサ曲どれもこれも名曲です。交響曲だけでなくどのジャンルにおいても、この記念イヤーにまとめて聴くことができるのではと思っていました。もしくは普段演奏されない曲も生の演奏で聴けるのを楽しみにしていました。
2020年はオリンピック、パラリンピックでインバウンド目当ての業界も多かったかと思います。観光業界、家電、飲食みんな盛り上がるはずだったかと思います。
クラシックの業界もそれ以外にこのベートーヴェンの記念イヤーで盛り上がっていたはずです。
私にとっては大好きな作曲家の一人です。音楽家として旅以外のブログを書く時まずはこのベートーヴェンについて書きたいと思いました。青木やよひ著「ベートーヴェン不滅の恋人」を読んで以来、作曲家の生活と想いが作品と密接にかかわっていることを感じ、その曲の作曲された年代なども気になるようになりました。
当然なのでしょうが他の作曲家でもそうでしょうし、画家もそうでしょう。伝記を読み作品だけでなくその人生、人のことが知りたくなりました。
生誕250年の今年、せめて家でベートーヴェンの曲を多く聴きたいと思います。
パリのホテル予約と初日の楽しみ、凱旋門
パリは多くの見どころと食の楽しみ、華やかな雰囲気があり、何度訪ねてもまた来たいと思わせてくれます。日本からの直行便も数多くフランスを中心にした旅行だけでなく、他の国を組み合わせた周遊の旅行でもインをパリにしワンフライト追加で直行便が飛んでいる国をアウトにしイギリスやドイツも追加することもできます。このシュミレーションは航空会社のホームページで何度でも検索でき、値段と共に表示されるので、楽しく調べることができます。旅行のスケジュールの組み方も機会を見つけ紹介できればと思っています。
パリで私が予約するホテルの候補地はおもにパリ北駅、東駅周辺。ホテルの数は多く値段もエコノミーなホテルがまとまっています。ガイドブックにもあるように若干治安が悪いと感じるかもしれません。どちらも大きな駅であることから人の往来が多く、外国からの人も多いです。外国の駅特有のなんだかわからないただ立っているだけの人もいます。しかし事前にホテルの場所を頭にインプットしておけば乗り換えずに行けるのは便利な地域です。
次はレアル周辺です。北駅、東駅と同じようにシャルルドゴール空港からRER線B線で真っすぐ向かうことができます。レストランも多く夜遅くまでにぎわっている地域です。長く駅の工事が続いていて行くたびに変わっていることとと駅の反対側に出てしまうと行きたい場所、反対側に渡るのは一苦労です。
北駅からバスに乗ってサンラザール駅の周辺もホテルがたくさんあります。夜は比較的静かになりますが、次の日からの観光やデパートで買い物の後、一度ホテルに戻ったりするには便利な地域です。
セーヌ川を渡ったカルェチェラタンからサンジェルマンデプエレの地域は道が狭く、石畳も激しいので駅から徒歩で荷物を曳いてホテルを目指すのはつらいかもしれません。安めの食事ケバブなどのお店は多いです。
ロンドン、ニューヨークに並び大都会パリのホテルは高いです。シャンゼリゼ、オペラ、ルーブルなどの地域には高級なホテルが多いようです。私はなんとか7,8千円以内で収めようと探しますが、狭く陽が当たらない部屋はしょうがないです。
なぜかシャワーカーテンがないところが多いですね。ですのでバスルームはびしょびしょになってしまいます。トラベルコで地図を見て値段と駅からの距離、乗り換えなどを比較検討しながら選んでいます。
午前の便で日本を発つと夕方のパリに到着することになります。ホテルにチェックインし荷物を置くと私はいつも凱旋門を目指します。
凱旋門はシャンゼリゼ通りの下を通る地下鉄1号線の駅からも直結しどの地域にホテルを取っていても1号線に乗り換えアクセスしやすいです。凱旋門を観た帰りにはまずシャンゼリゼ通りを散歩することもできます。なんといっても屋上からの眺めはなんとも格別なパリを感じます。東京の家を出てはや17,8時間、長時間のフライトと空港からホテルまでの少しの緊張を経て観る夕方の風景はああパリに来たと実感させてくれます。
放射状に延びた道路、シャンゼリゼ通り。通りの車のライトは日が沈むにつれ鮮やかに変化していきます。関係のない音楽は流れていません。車が石畳の道路をゴトゴトと進む音と観光客の多言語の話声だけです。シャンゼリゼの先にはチュイルリー公園、遠くにノートルダムが小さく見えます。反対側は近代的な新凱旋門とビル群。ひときわ高いのがモンパルナスタワー、そしてエッフェル塔はどこから見てもその形はなんとも美しいです。00分ちょうどのエッフェル塔シャンパンフラッシュは見逃せません。昇るときから少し意識しています。19時や20時ちょうどにはぜひ合わせてエッフェル塔の方に目を向けたいです。
ただこの屋上の景色ですが、かなりの段数の階段を昇らなければみれません。ヨーロッパの旅行で眺めを楽しむときの試練、階段です。窓のない階段を昇り、途中広いところにはトイレとお店と展示も少しありますが、最後屋上への階段を昇りガラスの扉を開けるとパリの眺望が目の前に広がります。
凱旋門を出たらシャンゼリゼ通りに向かって左側にでると写真を撮りやすく広い歩道があります。下がっていくとマックやリド、モノプリがある側です。
途中信号のあるところを渡るとき道路の中の島で写真を撮るのもまた楽しいです。なんども行き来してしまいます。
凱旋門、ここからパリ旅行が始まるのはいかがでしょうか?
プラハ 再訪の喜び
どんな旅でも旅の地に立つと念願かなった喜びが大きく沸き起こります。
その場所は人によって様々であり、目的地だけでなく記念の場所であったり、以前来たことに偶然気が付いた場所であったりします。
プラハへの旅はいくつもの喜びと共にありました。
初めての訪問は1997年初めての海外旅行でした。現在の環境とは大きく違う旅行だったことを覚えています。インターネットはまだ普及しておらず航空券やホテルの予約もネットで口コミや住所を確認しながらとはいきませんでした。当時チェコ共和国は事前に大使館にビザをもらいに行かなければなりませんでした。フランクフルト経由のルフトハンザでしたが、乗り換え時に2時間以上も遅れ心配な思いをしたことを覚えています。しかし、空港からリムジンマイクロバスに乗り中心地に降り立った時の風景は夢の様であり、私にとってその後、人生に大きく影響を与えるほどの衝撃的な光景でした。街灯に照らされた石畳の路、その上を行く車の音、それ以外の音がしない静かな街。突如映画の中に降り立ったような気持ちでした。
デジタルカメラもまだなくフィルムを何本も持っていきました。デジカメのようにどんな写真が撮れているか、撮れていないのかもわからないまま同じようなような写真をたくさん撮りました。
どのような道順で歩いたのか、ここには入ったのか?などよく覚えていません。しかしはっきりとカレル橋、お城、教会見ればここに立ったと思いだします。
プラハは当時も現在も日本からの直行便はなく、多くの空路と隣国から鉄道で入る方法があります。2015年に18年ぶりにプラハを訪ねることにしました。ウィーンから鉄道での旅です。ネットでチケットを取り、ホテルもカレル橋のすぐそばを驚くような値段で予約することができました。到着した中央駅は驚くほど明るく、お店も多く、以前スリには十分気を付けるようにと言われた薄暗さはなくなっていました。ユーロは使えるまでもまだチェココルナがメインで、もちろん多くの店でクレジットカードが使えるようになっていました。以前は現地のものは物価が少し安く感じましたがほとんどウィーンとかわらなくなっていました。
世の中がどんな便利なっても簡単にはプラハやヨーロッパは変わりません。それまでの何百年の歴史の積み重ねを踏みしめに訪ねているのですから。もちろん18年の間には大きな水害もありましたし、近代化の進んでいました。お城は有料になり、チケットがシステム化されていました。トラムは新しいものが多く走っていました。
しかしなにも変わっていない、変わらないプラハに感動しきりでした。18年前に同じ場所に立っていた自分を想いました。また来れたことに感謝しました。同じ景色が広がっていました。多くの写真を撮りましたが18年前と同じアングルが多かった。
2019年偶然にも再訪することができました。ウィーンからの日帰りでした。片道4時間半の電車での旅でした。記録を見ると全く同じ日にちでしたが、2015年はまだ春遠い雪がかなり降りましたが、2019年はもう夏か思えるような暑さの一日でした。
再訪の喜びと共に、次はいつ来れるのか?と考えながら旅していました。18年ぶりの後偶然にも4年後には来ることができましたが仕事の状況が変化した時、世の中の様子が変わってしまった時、いつまで健康でいられるのか、海外旅行を楽しめるくらいの余裕のある生活ができているか、そんなことをも考えながらまたプラハに来たいと強く感じました。来れたならプラハは変わらず美しいんだろうなあと思い浮かべながら。
いつか、、。芸術新潮
次の旅はいつになるであろうか?
世界のこのコロナ禍にあって、国内旅行も遠慮気味な上、特に都民にとっては恩恵もないなか、
海外旅行は現時点では想像も出来ない。
これまでヨーロッパに旅することを目標にし、
仕事を頑張り、スムーズで安全に効率よく、
安く行きたいヨーロッパをなんとか旅してきた身としてはこの次が想像できないことはかなりの
苦痛であり!極端な話、生きる目標を失ってしまいます。
いつの日かあの地へ、またあそこを訪ねたい、は
かすかな望みであり、ブログをはじめたきっかけでもあります。
芸術新潮8月号、まさに意を得たり、
まだ見ていない絵があるのです。
訪ねていない美術館があるのです。
もう一度会いたい絵があるのです。
早くその日が戻ってきますように。