プラハ 再訪の喜び
どんな旅でも旅の地に立つと念願かなった喜びが大きく沸き起こります。
その場所は人によって様々であり、目的地だけでなく記念の場所であったり、以前来たことに偶然気が付いた場所であったりします。
プラハへの旅はいくつもの喜びと共にありました。
初めての訪問は1997年初めての海外旅行でした。現在の環境とは大きく違う旅行だったことを覚えています。インターネットはまだ普及しておらず航空券やホテルの予約もネットで口コミや住所を確認しながらとはいきませんでした。当時チェコ共和国は事前に大使館にビザをもらいに行かなければなりませんでした。フランクフルト経由のルフトハンザでしたが、乗り換え時に2時間以上も遅れ心配な思いをしたことを覚えています。しかし、空港からリムジンマイクロバスに乗り中心地に降り立った時の風景は夢の様であり、私にとってその後、人生に大きく影響を与えるほどの衝撃的な光景でした。街灯に照らされた石畳の路、その上を行く車の音、それ以外の音がしない静かな街。突如映画の中に降り立ったような気持ちでした。
デジタルカメラもまだなくフィルムを何本も持っていきました。デジカメのようにどんな写真が撮れているか、撮れていないのかもわからないまま同じようなような写真をたくさん撮りました。
どのような道順で歩いたのか、ここには入ったのか?などよく覚えていません。しかしはっきりとカレル橋、お城、教会見ればここに立ったと思いだします。
プラハは当時も現在も日本からの直行便はなく、多くの空路と隣国から鉄道で入る方法があります。2015年に18年ぶりにプラハを訪ねることにしました。ウィーンから鉄道での旅です。ネットでチケットを取り、ホテルもカレル橋のすぐそばを驚くような値段で予約することができました。到着した中央駅は驚くほど明るく、お店も多く、以前スリには十分気を付けるようにと言われた薄暗さはなくなっていました。ユーロは使えるまでもまだチェココルナがメインで、もちろん多くの店でクレジットカードが使えるようになっていました。以前は現地のものは物価が少し安く感じましたがほとんどウィーンとかわらなくなっていました。
世の中がどんな便利なっても簡単にはプラハやヨーロッパは変わりません。それまでの何百年の歴史の積み重ねを踏みしめに訪ねているのですから。もちろん18年の間には大きな水害もありましたし、近代化の進んでいました。お城は有料になり、チケットがシステム化されていました。トラムは新しいものが多く走っていました。
しかしなにも変わっていない、変わらないプラハに感動しきりでした。18年前に同じ場所に立っていた自分を想いました。また来れたことに感謝しました。同じ景色が広がっていました。多くの写真を撮りましたが18年前と同じアングルが多かった。
2019年偶然にも再訪することができました。ウィーンからの日帰りでした。片道4時間半の電車での旅でした。記録を見ると全く同じ日にちでしたが、2015年はまだ春遠い雪がかなり降りましたが、2019年はもう夏か思えるような暑さの一日でした。
再訪の喜びと共に、次はいつ来れるのか?と考えながら旅していました。18年ぶりの後偶然にも4年後には来ることができましたが仕事の状況が変化した時、世の中の様子が変わってしまった時、いつまで健康でいられるのか、海外旅行を楽しめるくらいの余裕のある生活ができているか、そんなことをも考えながらまたプラハに来たいと強く感じました。来れたならプラハは変わらず美しいんだろうなあと思い浮かべながら。